ロジャー・テイラー


Name
ロジャー・テイラー
本名
ロジャー・メドウス・テイラー
生年月日
1949年7月26日
出身地
イングランド東部のノーフォーク
@
クイーン初期では、フレディやブライアンが作る典型的クイーンサウンドとは異なるロック色の強い楽曲をアルバム毎に1、2曲提供し、ハスキーな声でリードヴォーカルもとった。代表的な曲として、『オペラ座の夜』の「I'm In Love with My Car」などがある。また自分がヴォーカルをとらない際には、ライヴでもフレディ以上にヴォーカルが目立つ時があるほどの高音でバックコーラスに徹した。
A
それゆえ、ヒット曲を出すのはクイーンのメンバー中最も遅かったが、1980年代になると、自らはリードヴォーカルをとらず作家に徹した「RADIO GA GA(レディオ・ガ・ガ)」(全英2位、19カ国で1位)、「A Kind of Magic (カインド・オブ・マジック)」(全英3位)などポップ路線の大ヒットを連発し、後期クイーンにおいてはヒットメーカーとなった。
B
また、フレディ存命時のラストアルバム『Innuendo(イニュエンドウ)』においても、名曲「These Are The Days of Our Lives (輝ける日々)」はクイーン名義だがロジャー作だと言われている。また、タイトル曲の歌詞も主にロジャーがまとめたと言われている。このように、ロジャーは徐々にソングライターとして成長し、クイーン内での発言権を増していったことが窺える。

C
クイーンのメンバーで最もソロ活動に積極的だったのは、意外にもロジャーだった。
ロジャーは、1977年に自費で限定3000枚の初シングル「I Wanna Testify (アイ・ウォナ・テスティファイ)」を発表し、クイーンのメンバーとしては最初にソロ・デビューを果たす。


D
1981年には、ほぼ全ての楽器を自身で演奏した初のソロアルバム『Fun In Space』を、1984年には、セカンドアルバム『Strange Frontier』を発表した。これらのソロ活動においてロジャーは、娯楽としてのロックを追求したクイーンとは違った、反核ソングや、プロテストソングの大御所ボブ・ディランの曲をカバーするなどして、社会派としての路線をうかがわせたことは見逃せない点である。  
E
クイーンが活動を小休止していた1987年には、オーディションでメンバーを集めてThe Crossを結成。このバンドにおいて、ロジャーはドラムスではなく、リードヴォーカルとリズムギターを担当していた。ファーストアルバム『Shove It』にはフレディがゲストで参加した「Heaven For Everyone」が収められており、後にクイーンのアルバム『Made In Heaven』でリメイクされた)
F
フレディの死後、再びソロになったロジャーは、1994年にサードアルバム『Happiness?(ハピネス?)』を発表。アルバムはフレディの死後制作されたこともあって全体的に静かなトーンで統一されており、ネオナチを非難した「Nazis1994」やX JAPANのYOSHIKIと競演した「Foreign Sand」も話題となった。


G
1998年には、現在のところ最新作である、『Electric Fire 』を発表。ジョン・レノンの「ワーキング・クラス・ヒーロー」のカバーも収録されたこのアルバム発表にあわせて、ロジャーの別荘の敷地内にある納屋で行われた「サイバーバーン・ライヴ」は当時としては画期的なインターネットで生中継され、その場でギネスからアクセス数の新記録の認定を受けた。
H
2004年、ロジャーとブライアンは英国音楽殿堂の授賞式で共演をきっかけにして、元フリー、バッド・カンパニーのポール・ロジャースとクイーン+ポール・ロジャース名義でのツアーを行うことを発表し、世界中のファンに衝撃を与えた。ヨーロッパ・ツアーのチケットは全てソールド・アウトと大成功を収め、待望の来日公演も成功させた。
I
この中で、ロジャーはクイーンとしては最新曲である自作の「Say It's Not True (セイ・イッツ・ノット・トゥルー)」を披露している。この曲は前述の46664のために書かれた曲である。2006年にはクイーンとしては24年ぶりの全米ツアーも成功させた。

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