ジョン・ディーコン


Name
ジョン・ディーコン
本名
ジョン・リチャード・ディーコン
生年月日
1951年8月19日
出身地
イギリス・レスター生まれ。
@
自分では歌が歌えないのと、クイーン内では最年少だったこともあってか、当初ジョンの存在感は薄く、また他の3人に比べると作曲を始めるのが遅かったが、3枚目のアルバム『シアー・ハート・アタック』収録の「ミスファイアー」で初めて自作曲が採用される。


A
すると4枚目のアルバム『オペラ座の夜』では2曲目の自作曲にして早くも全英7位、全米16位のヒットとなる「マイ・ベスト・フレンド」が収録され、その後はアルバム毎に自作曲を1、2曲提供するようになった。この曲ではフレディが生ピアノでなくては弾きたくないと拒んだため、ジョン自身がエレクトリックピアノを弾いている。
B
この中で全米1位、全英7位、全世界で700万枚セールスを挙げたクイーン最大のヒット曲「地獄へ道づれ」、全英3位、世界数カ国でナンバーワンヒットとなった「ブレイク・フリー(自由への旅立ち)」など、寡作ながらもクイーンの代表曲となる曲を発表していき、クイーン内での存在感を徐々に増していった。

C
また、ブライアンのために小さなギターアンプ「Deacy(ディーキー)」を自作、ブライアンはレコーディング時にこれを重宝し、あの独特なサウンドを次々と生み出していった。


D
クイーンのファーストアルバム『戦慄の王女』のクレジットでは、ディーコン・ジョンとクレジットされているが、これはそのほうが響きがいいからという理由で、メンバーから逆にするように勧められたことによる。実際に初期の音源では、司会者にディーコン・ジョンと紹介されていることから、誤植などではなく意図的なものだということがわかる。なお、セカンドアルバム以降は普通の表記に戻っている。
E
1997年以降、完全に表舞台に出てこなくなったため引退したかどうかも不明だった。
F
しかし2005年にクイーン+ポールロジャース日本公演のパンフレットには「音楽業界から引退」と書かれている。イギリスのリッチリストによると、「ジョン・ディーコンはツアーには参加しなかったが、著作権使用料と、ミュージカルWe Will Rock Youの長きに渡る成功により、利益を得た。」となっている。最近では時折自分のファンサイトに書き込みをするなどして、ファンを驚かせている。


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