忌日

2020年10月23日(金)
【■1988年 朝潮太郎】
■1988年 朝潮太郎

朝潮太郎(3代)・1929年11月13日生まれは、大相撲力士である。

鹿児島県出身。1948年10月場所、本名の米川で初土俵。当時奄美は米軍の占領下にあったので兵庫県の親戚、大沢徳城を頼って貨物船に忍び込み密航、奄美が返還されるまで兵庫県出身と番付に書かれていた。力士となってから故郷奄美の返還運動にも参加し奄美返還後は鹿児嶋県出身と書かれた。濃い胸毛と太い眉毛で人気だった。東宝映画『日本誕生』に手力男命の役で出演したり、週刊少年マガジン創刊号の表紙も飾った。大阪場所で強く、「大阪太郎」と呼ばれた横綱だった。優勝は5回あるがそのうち4回が大阪、横綱昇進を決めたのも大阪だった。

1962年1月場所を最後に現役引退。本来は振分親方となるはずだったが親友である松登の引退の際に名跡を貸していたため当時の一代年寄制度を利用して朝潮のまま親方になる。

1988年9月場所中、弟子で西サモア出身の幕内力士だった南海龍が飲酒による素行問題を起こすと、その後間もなくして脳溢血で倒れ緊急入院。しかし意識は戻らないまま、同年10月23日に58歳で急死した。同年行なわれた若乃花還暦土俵入りの際には、「来年は儂の番だ」と自身の還暦(60歳)土俵入りを楽しみにしていたという。ただしこの土俵入りのために他人に見せられる体にするため当時50代後半という高齢に鞭をうちジョギングなどのハードトレーニングをしていたといいこれも急逝の遠因ではないかと指摘する声もある。赤い綱も用意していたが使われることなくお蔵入りとなった。


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