2020年5月25日(月) 【■1954年 ロバート・キャパ】 ロバート・キャパ 1913年10月22日生まれはアメリカの写真家である。 1913年、父デジェー・フリードマンと母ユリアンナ・ヘンリエッタ・ベルコヴィッチの次男として、ハンガリーのブダペストに生まれる。両親は洋服店を営んでいた。 1919年福音派の学校に入学、1923年マダーチ・イムレ・ギムナジウムに入学。1931年に共産党活動容疑で逮捕される。釈放後はドイツのベルリンで写真通信社「デフォト」の暗室係となる。1933年にはユダヤ人排斥が激しくなり、ベルリンを脱出。ブダペストでヴェレシュ旅行社のカメラマンとなる。翌年にフーク・ブロック通信社の臨時雇いとなる。 1936年7月のスペイン内戦勃発と共に従軍し、9月にコルドバで頭部を撃ち抜かれ倒れる瞬間の人民戦線兵士を撮った「崩れ落ちる兵士」を撮影。1938年には日中戦争を取材。1939年にアメリカ合衆国に移り、翌年に永住権を得る。1940年にメキシコに数ヶ月滞在し大統領選を取材。1942年「コリアーズ」誌の特派員としてロンドンに渡る。1943年に北アフリカ戦線、イタリア戦線を取材。その間に「コリアーズ」の契約を解除され、「ライフ」誌と契約。 1944年にはノルマンディー上陸作戦を取材。第1歩兵師団第16連隊第2大隊E中隊に従軍した。ドイツ軍と連合国軍が入り乱れる中100枚以上の写真を撮影したが、現像の際に、興奮した技師が溶剤を加熱しすぎてしまったためにフィルムが溶け、まともな写真として残っているものは11枚。これは後に彼の写真著書『ちょっとピンぼけ』のタイトルにもなっている。8月にはパリ解放を撮影。第二次大戦終了後1946年にアメリカ市民権を獲得。1947年にアンリ・カルティエ=ブレッソン、デヴィッド・シーモア、ジョージ・ロジャーらと国際写真家集団「マグナム」を結成。1948年には第一次中東戦争を取材した。 1954年4月に写真雑誌「カメラ毎日」の創刊記念に日本に呼ばれる。東京で「ライフ」誌から第一次インドシナ戦争の取材依頼を受け北ベトナムに渡る。5月25日、午前7時にナムディンのホテルを出発、タイビンにあるドアイタンという陣地に向かう。午後2時30分ころドアイタンに到着。午後2時55分にドアイタンから1キロの地点にある小川の堤防で地雷に抵触、爆発に巻き込まれ死亡した。享年40。 [コメントする] [更新通知] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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